明日はきっといい天気

お仕事の話、思い出の話、未来の話

受け入れたぁ

「退去の手続きに来ました」

とその方は言った。

 

窓口で書類を書いていただく。

 

(孝則様、ね)

 

ふむふむとお部屋番号等確認しながら

手続きを進めていく。

 

お客様によっては

引っ越しギリギリだったり、

遠方のご子息が代行だったり、

駐車場の契約解除も同時に受け付けたり、

確認事項が多くて契約の話はややこしい。

 

 

「では智則様、こちらの封筒が…」

 

説明をする先輩事務員の声が耳に入る。

(あれ?智則様だったっけ、見間違えたかな)

(孝則様?智則様?)

 

記入中の書類を覗き込むと、

やはり、孝則様。

 

(先輩!間違えて呼びかけてる!!)

 

名前を間違えられたら誰でも気持ちいいものではないし、

中には烈火の如く怒り狂う人もいる。

そこまで怒らなくても、というほど

激昂する人も。

 

だけど

お客様と先輩のやり取りは和やかに進んでいる。

 

(受け入れたぁ)

 

一瞬固まったような気もしたから、

きっと見逃して(聞き逃して?)くれたんだろう。

その後も何度か呼びかけてしまったけれど

その方はすべてスルーしてくれた。

 

 

 

 

「あの、さっきのお客様ですけど」

 

その方が帰ったあと、先輩に話しかける。

「智則様じゃなくて孝則様みたいです…」

 

 

「え!!?」

先輩の叫びが事務所にこだました。

 

 「寛大な人もいるのねー!智則様ねw!」

「了解了解!」

 

 

 

…ん?どっちだっけ。

 

 

においがします

 「下の階からなんとも言えないにおいがします」

 

と電話口の女性は言った。

 

「どのような匂いですか?

ベランダ等にゴミが放置されている感じですか?」

 

と私。

 

生ゴミのような、でも違うような。

生っぽいなんとも言えないにおいです」

 

不安げな女性に、連絡をくれたお礼。

そして、ちょうど巡回に来た上司にそのことを伝える。

 

 

一瞬で変わる表情。

 

 

あれよあれよという間に連絡が取られ、

通報され、部屋の窓が割られて

遺体が発見された。

 

「部屋のベランダ側にもドア側にもハエが飛んでいたから、

もう、そうだと思った」

「玄関の近くに倒れていたから、汁が、外に出ていて。

それでにおいが余計漏れたんだろうね」

 

心臓か、脳か。

きっと、本人が「あ!!」と思って

外の誰かに知らせようとした瞬間のこと。

 

あと一歩で、結果は変わっていたかもしれない。

 

ひとり暮らしじゃなかったら。

たまに訪ねてくる家族や友人がいたら。

たらればを考えてもキリがないけれど、

ついつい考えてしまう。

 

 

人が生まれて、生き、出会い、生き、

別れ、生き、そして死ぬ場所。

幼い子ども達ももちろんいるけれど、

高齢化の進んだこの団地は

確実に終わりに向かっている。

 

人の生活は人生そのもので、

ついついそれを忘れがちになるけれど、

いのちは本来きっとグロテスクなものなんだろう。

 

生っぽい、なんとも言えないにおいがするもの。

 

「遠方のご子息が賃貸借契約の解除にいらっしゃると思う」

と、上司。

 

部屋の後始末をしてくれる身内がいるのって、

幸せなのかな不幸なのかな。

ひとりで息を引き取ってにおいが外に漏れるまで

放置されていたあの人は何を思うのかな。

 

事務所の窓から遠くに救急車のサイレンが聞こえる。

どんどん近づいてくる。

 

誰かが倒れた?

誰かが怪我をした?

 

どうかうちの団地じゃありませんように。

 

 

 

ここは地方の大型団地管理事務所。

 

人が生活を営むところの傍らで私は働いている。

 

 

 

 

 

真面目に働いたらバカをみる?

「よっ!」

 

1日に3回も4回も事務所に顔を出す高齢者がいる。

 

とっくの昔に退職して、趣味もなく、

家族もおらず、友達もおらず、暇なんだろう。

軽く働くかボランティアでもすればいいのに、

頑なにそういうことはやりたがらない人なんだそうだ。

 

「おはようございます。

暑いですね」

 

一応お客様として来ているのだから、あまり邪険にも扱えない。

だらだらと、

好きな食べ物やら嫌いな食べ物やら

夕飯のメニューやら

天気や、政治やら、

自分勝手に話をして、帰って行く。

 

 

「よっ!」

 

どうも、と返す(ていうか数時間前に会った)。

 

 

 

「俺はもう手持ちの金が尽きたら生活保護お願いする」

生活保護なら家賃も病院代も食費もタダだ!」

 

手出しがないということか?と思いながら

 

「そうですか〜」

と相づちを打つ。

 

「真面目に働いたらバカをみる!

使えるものは使わないと損だww」

 

ガハハと高らかに笑って事務所を出ていく彼。

 

真面目に働くのは、か。

確かにそうかもなぁ。

 

世の中、

真面目な人が、不真面目な要領のいい人に搾取されまくってるもの。

働かずに生活できてる人もいるんだよなぁ。

 

平成生まれの私は、将来年金もらえないんだろうなぁ。

ていうか税金高いなぁ。

 

 

 

 

「よっ!」

 

(また来た)

 

損得で見たら確実に真面目な人はバカをみるかもしれないけど、

この人は幸せそうに生きてるかと言えばそうではないし、

私はそんなふうに生きたいとも思えない。

 

毎日暇を持て余して事務員に話しかけるしか

(そして仕事の邪魔をするしか)

やることがないじゃない。

 

なにかに取り組んで結果を出したとか

これを継続しているとか、

誰かとつながって友達になれたとか、

そういう大事なところ(と私は思うけど)

がすっぽり抜け落ちて

 

(私だったら)寂しい。

 

損得で生きるよりも、自分が幸せになるように

生きていこう、と思った。

 

「そんなに3回も4回も来なくて大丈夫ですよww!

今日生きてるんだってのは分かりましたよー!」

 

と笑って事務所から送り出した。

 

だって高齢者だし、ひとり暮らしだし。

一応、顔見知りになっちゃたし。

 

部屋で孤独死されたら、きっと後味悪い。

電話を受けるのは私だし。

 

 

 

 

ここは地方の大型団地管理事務所。

 

人が生活を営むところの傍ら。