明日はきっといい天気

お仕事の話、思い出の話、未来の話

「鍵が開かない!!!」

 

午後の平和な事務所に男性の怒号が響いた

ここは地方の大型団地管理事務所。

お昼休み明けのぽかぽかとした天気のいい時間帯

仕事中じゃなければ、ひと寝入りしたいところだった

事務所内には数人のお客様

 

怒鳴ったのは常連?の高齢男性

認知が進んでいて、自宅の鍵が開けられない

 

鍵は持っている。

鍵穴も分かる。

だけど、鍵を鍵穴に差し込んで回す、ということが出来ない

 

 

そして、冒頭のクレーム?になる

 

 

ひとりで暮らしている高齢男性は

孤立していることが多い、と思う

家族もなく、友人もなく、近所付き合いもせず、仕事はとっくに引退している

 

そして、

 

人と接することが極端に少ないからそうなるのか

もともとの性質なのかは分からないけれど、

一気に感情を爆発させる

 

 

「担当の、男性を呼びますね」

と先輩が言って、携帯電話を手にした

 

「早くせんか!!」

と再度怒号が響いた

 

 

認知が入って不安なのも

鍵が開けられなくて苛つくのも

気の毒なこと

 

 

だけど、こんな気持ちのいい午後に

なんの非もなく仕事をしていて

いきなり怒鳴られる筋合いはない

と私は思う

 

事務所に来ていた他の方は

怒号を聞いてそそくさと帰っていく

 

人の感情をもろに受け止めたり

激しく荒れ狂う感情を目にしたり

ということは

きっと人間誰でも不快なものなんだろう

 

認知症を発症した人から

介護している家族が離れたくなるのも

珍しくない

もうひとりの誰かの不安や怒りやすべての感情を

丸ごと背負うのはどんな人にとってもきっとしんどい

 

 

 

いきなり怒鳴られた衝撃で

鼓動が激しい

数年前の弱っていた私なら

過呼吸を起こしているかもしれない

 

 

 

この人はこれからどうなるんだろう

 

なんて

 

何も出来ないしする気もない

無責任でお節介な自分を知りながら

 

気を紛らわせるために

目の前の高齢男性を憐れむふりをする

 

 

気を紛らわせるために

帰りにコンビニでお菓子を買おうと考える

 

 

 

今日は気持ちのいい午後

 

 

この団地には高齢者が多いから

きっと私はすぐ太ってしまう

 

 

ごめんくださいませ

「ごめんくださいませ♪」

 

ご機嫌な挨拶とともに、高齢女性が来所した。

 

ここは大型団地の管理事務所。

毎日様々な訪問者、問い合わせ等々の対応をしている。

 

 

「…はい、こんにちは」

しげしげと眺めてしまう。

 

このあたりでは有名な不思議お婆ちゃん(認知が入っている)だが、

私も実際に話すのは初めてだ。

 

 

白いノースリーブワンピースにサンダル、麦わら帽子、

かごバックをぶら下げている。

 

少年が田舎で出会うひと夏の思い出、

夏の少女そのものだった。

 

(顔はお婆ちゃんだけど。)

 

 

 

「あのね、テープをくださらない?」

にっこり、と微笑む夏の少女。

 

「は?」

TAPE?て、テープ??

セロハンテープかガムテープか養生テープか音声テープ…?

 

フリーズする私。

 

 

「はいはい、どうぞ!」

先輩がにこやかに差し出したのは布ガムテープ。

 

「5センチ、いえ、10センチ頂いてもいいかしら?」

夏の少女が太陽の笑顔で訪ねて、

 

「何センチでも何メートルでも!」

と先輩がプロの事務員の笑顔で応えた。

 

 

少女はかごバックを持ち上げた。

よく見るとその底は抜け、何度も補修された跡があった。

 

底抜けのバックが

事務所の布ガムテープで補修されていく。

 

ビリッ、ベタ

ビリッ、ベタ

ビリッ、ベタ

 

1メートルほどのテープを使い、

補修作業が完了した。

 

その間、作業に没頭していた本人はもちろん、

事務所内の誰もが口を開かなかった。

 

 

 

「ごめんくださいませ♪」

 

満足気に事務所を出ていく夏の少女。

 

フリーズしたままの私。

 

 

 

「もう何年もテープ借りにくるの」

と先輩がふふっと笑った。

 

一体何メートル、何本の布ガムテープが

あのバックに消費されたんだろう。

 

「またいらっしゃったら貸してあげてね」

 

「はい…」

と答える。

 

 

とりあえず、

団地は今日も平和だ。

 

 

かえりたくなる

小さい頃、祖父母の家で暮らしていた時期があった。

 

祖父と祖母と小さい私。

 

祖父の家の目の前は海で、

すぐ近くには漁港があって、

ふたりは漁師だった。

 

磯臭い、海の香り。

 

正直私はこのにおいが激しく苦手だった。

フナムシとかカニやらが

我が物顔でそこらを歩いていたし、

網にかかったカブトガニやらエイやウミヘビやらが

よく家の前のブロックに干してあるのも嫌だった。

(商売道具の網を傷つけるので、

海に返さないため…らしい)

 

そこら中に凶暴な野良猫がいて、

生々しい喧嘩の跡を晒しては

これも我が物顔で歩き回り

漁師たちから売り物にならない雑魚をもらっていた。

 

おそらく2〜3歳、5〜6歳の

それぞれほんの一時期だったと

今になっては思うのだけど、

 

幼い頃の例えば1ヶ月なんて

きっと永遠に感じられるから。

 

当時の私にはひたすら長かった。

 

 

祖父母は 

朝早くまたは夜中のうちに漁に出て

昼過ぎには帰ってきて、

その日の成果を仕分けして

漁港や知り合いに持っていったり、

干物に加工したり…していたと思う。

 

田舎の大きな木造の家で、

私は一日ぼんやり過ごしていた。

 

3人で夕飯を囲んでいる記憶はあるけれど、

その他の食事はどうしていたんだっけ?

記憶がない。

 

2歳の頃にはひらがなが読めたらしく、

1人で絵本を呼んだり絵を書いたり。

チラシ裏の白紙がなくなると

手持ち無沙汰で

よく空想にふけっていた。

 

とにかく退屈だったってことは覚えている。

 

 

 

高校生になった頃、

祖母が私にその時のことを話してくれた。

 

ひとりでぼんやり過ごしててね、

 

ああ、早くお家に

帰りたいなあ。

パパとママのいる私のおうち。

 

って言ったんだよ。

それでね、

ちゃんと聞こえてないふりして

 

何か言った?

 

って聞いたらね、

 

ううん、何でも。

って答えたんだよ。

 

3歳になるかならないかの子がだよ。

もうそれが忘れられなくてね。

 

 

 

私にその記憶はないけど、

祖母がそう言うなら言ったんだろう。

 

お世話になっておきながら薄情なやつめ。

 

 

 

とにかく一番に覚えているのは、

毎日夕方になると

2人の帰りを待ちながら海を眺めて、

お家に帰りたい、って思ってた記憶。

 

 

大人になった今でも、

海の香りを嗅ぐと

帰りたくなる。

 

実家へ?ううん。

祖父母宅へ?ううん。

自宅?ううん。

 

そういう特定の場所じゃなく、

ただ

”かえりたくなる”。

 

 

 

特定の香りを嗅いで、

特定の記憶・感情が呼び覚まされることを

プルースト効果

というらしい。

 

 

私のこの気持ちは、

まあそんな理屈で

説明できるのかもしれない。

 

 

海の香りで、

かえりたくなる。

 

  

ひとつ賢くなった。

かもしれない。

 

 

また海を見に行きたい。

 

姫ぇ

Twitterが好き。

ここ1年位ハマっているSNSのひとつだ。

 

Instagramfacebookも5ちゃんねるも好きだけど、

Twitterを触る頻度が一番高い。

 

美しい風景や可愛い動物や美味しそうな料理が

手の中のスマホで流れていく。

それから、

色んな考えの

色んな人がいるなぁって、

単純に面白い。

 

1年ほどアカウントを動かすうちに

フォロワー数も増え

気の合う友人もできた。

 

眠れない夜、

誰かに話しかけるとすぐに返事が帰ってきて

他愛のないやり取りに癒やされる。

 

コロナがなければ、

実際に会ってみたい人もいる、

今の私の世界のひとつ。

 

前置きが長くなった。

 

 

 

相互フォローの関係にある、姫がいる。

(アカウントは別の名前がついているけれど、

自分のことを「姫って呼んでネ☆」と要求する)

 

きっと、

誰でもそういう願望はある。

いわゆる「チヤホヤされたい」系の人物。

 

 

 

「150センチしかないチビなの〜!大きくなりたいよう(泣)」

姫は小さいから可愛いんだよ!大きくならなくていいよ!と

フォロワーがフォローする。

※自撮りであげられる太ももや手は

明らかに私(160ないくらい)より

つくりが大きいんだよなぁ

 

 

「友達と飲みに行ったよお!21歳だけど焼酎は苦くて無理なの!

カシオレ飲んだよ☆」

楽しそうだね!焼酎飲めないの可愛い!と

フォロワーがフォローする。

※カシオレ3杯飲めるなら、

そのうち焼酎も飲めるようになるよぉ(←下戸

 

 

「バイト先のおばさんに意地悪言われたの(泣)!」

姫が若くて可愛いからひがんでるんだよ!気にしないで!と

フォロワーがフォローする。

※意地悪か。経緯が分からないからなんとも言えないけど。

父親のコネで採用してもらったバイトだから

(しかも身体が弱いとかでシフトは週1)、

周りも扱いに困ってるんじゃないのかなぁ。

 

 

なんだかんだ、

姫と取り巻きの連中を見てると楽しいので

Twitter上でのみ

つながっている(←私も大概性格悪いww

 

 

 

 

「今日は誕生日なの!19歳になったよ☆

プレゼント募集中ですっ♪」

 

……姫ぇ。若返っとるやないかい!

1週間前にお酒飲んでるぞ?

 

 

まあ、なんというか

キャラ設定が甘い人もいて、

見てると面白い。

 

 

「姫!お誕生日おめでとー\(^o^)/」

 

送信、っと。

 

 

 

黒いあいつ

視界の端を黒いものが横切った。

 

「ぎゃあああぁぁぁあぁああ!!」

 

 

ついに出てしまった。

Gが。

 

 

最近引っ越したこの部屋はキッチンが半地下になっていて、

これは

出るかな〜出るかな〜(◯川◯二風)って思ってたけど

 

ついに出てしまった。

 

 

夫が言った。

「よし、そいつの名前はジョージだ!」

 

 

(名前つけるんかい…。

 

Gだからジョージか…?

 

名前つけたら殺しにくくなりそう…)

 

もんもん。

 

 

 

 

 

あれから2週間。

 

ジョージの姿は見えない。

 

 

 

でも、多分、いる。

 

これは、私と夫とジョージの話。

お耳

「あ``?」

 

手を顔の横に上げて聞き返されたら、

 

(あ、お耳が遠いんだな。聞こえにくいんだな)

 

って思う。

声のボリュームを大きくして同じことを繰り返す。

 

 

 

今まであまり疑問に思ったことはなかったけど

(というかこんなに高齢者の相手をしたこともなかった)

この仕草はあまり丁寧ではないなあと

最近思う。

 

お耳が聞こえにくいのはあなたの問題であって、

私の責任ではない。

 

配慮が足りない(声の大きさをもっと上げるべき)と

言われればそれはそうかもしれないけれど

 

どの程度の配慮が必要だったのかということは

人対人のコミュニケーションにおいて

言葉を投げかけた時点で

一旦のこちらの責任は果たしてて。

 

(他の方には充分聞こえているようですし)

 

相手がどう受け止めたかということまで

すべて背負えない。

 

 

もう一回声のボリュームを上げて言ってほしいのなら、

その旨お伝えください、

って思う。

 

 

 

 

「聞こえーん!」

 

初回から、

いきなりキレるヤツは知らん。

 

繰り返すけれど、

あなたのお耳が聞こえにくいのは

私の責任ではない。

 

 

いきなりキレないでくださぁい‼!(キレ

 

どうして

「どうしてここにいるのか、

分からなくなってしまって」

 

不安な様子で高齢者がやってきた。

 

「何をしていたのか、

どうしてここにいるのか、

何も分からなくて」

 

先輩が彼女をさっと窓口の椅子に導く。

 

 

 

「さっきまで何してたか、

分からないの」

 

不安感がとても強い。

 

 

ご自分の名前は言えた、住んでいる部屋番号も分かる。

でも、それ以外は分からない。

 

名簿によると

この団地内に息子夫婦とその子どもが居住中。

 

「息子さんがいらっしゃいますよね?

お部屋も近いようですが…」

 

先輩が大きな声で話しかける(とても耳が遠い)。

 

 

「分からない」

 

 

 

 

認知が進んで自分の世界が消えていくのは、

異国で迷子になるよりも

きっと、もっとずっと心細い。

 

「息子さんのお部屋を訪ねてみましょう!」

明るい声で先輩が言って、

彼女の曲がった背中を撫でる。

 

 

薄いシャツ越しに

おそらく体温が伝わって、

今にも泣き出しそうな顔が少しだけ緩んだ。

 

 

 

 

どうして、どうして、

 

ここはどこなんだろう

何をしてたんだっけ

どうしてここにいるんだっけ

 

私達は

個々の家庭に

あまり込み入った介入はできないけれど、

 

こんなに不安に怯える人に、

一瞬の安堵感を与えた先輩すごいなって

私は思った

 

不安だよねって

寄り添ってもらえるだけでも

きっと

すこしだけ人は救われるんだ

 

 

 

ここは地方の大型団地管理事務所。

 

人が生活を営むところの傍ら。